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西に沈む夕日が美しい場所でした

荒川区南西部に位置し、下町的界隈が広がる西日暮里エリア。このエリアを東西に分断する形で京浜東北線や山手線の路線が南北に縦貫しています。またこのエリアには日暮里富士見坂と呼ばれる、富士山が望める坂が存在します。西日暮里の歴史は古く、江戸時代には新堀村という名前でした。新堀という名前の由来は、太田道灌の家臣で新堀某という者が存在したからという説や、室町時代にあった「にっほり妙円」という地名を漢字に充てた説など諸説あるといわれています。江戸時代の新堀村高台は、非常に見晴らしが良く景勝の地として有名でした。四季折々の花をめでたり、遠くにそびえる富士山を眺めたり、当時の人たちはそれぞれ風情を楽しんでいたといわれています。このような美しい土地柄であることから、当時の文人墨客たちも多く集まったとされています。新堀村で一番きれいな情景が見られたのは、夕刻時だったといわれています。オレンジに変化した太陽の光が、草木を照らすことできれいな景色が広がっていました。一日が過ぎていくのも気付かぬほど美しい風景だったとして、いつしか日暮の里と呼ばれるようになりました。時代が進み大正時代になると、東京ではいくつかの村をまとめるようになりました。新堀村も周辺の村とまとめられるようになりますが、西に沈む夕日が非常に美しいことから、西に日が暮れる里として西日暮里と呼ばれるようになったのです。